新•人生ゲーム 〜新しい人生の捉え方〜

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はじめに

今回は「こんな考え方もありなんじゃないか」っていう「新しい人生の捉え方」です。

現在の生活が順風満帆で悩みも不満も特にない方にはものすごくつまらない内容かもしれませんが、日常生活でトラブルがたくさんあって悩みや不満を抱えてる人にはこれ以上ないくらい気がラクになる話だと思います。

ぼく自身もここ数年この考え方を意識するようになってからめちゃくちゃ気が楽になったし、いろんなことに挑戦できるようになりました。

さてさて、新しい人生の捉え方とは一体何なのでしょ〜か。

 

3、4分で読めると思いますので、今日の寝る前にでも気軽に読んでみてください☆

 

キャラクター目線とプレーヤー目線

今回の話で1番大事になる部分の話を最初にしちゃいます。

まず、過去でも現在でもいいですが、あなたが経験した(もしくは現在経験している)トラブル、不満、辛かったこと、傷ついたことなどを3つくらい思い出してみてください。一般的にいう「起きて欲しくなかったこと」とか「悩みの原因」とかマイナスの影響があるようなことです。

失恋とか受験の失敗や仕事の失敗、人間関係のトラブルとか家族の悩みとか。

「おい、初っぱなからハードなことやらすな」なんて思わないでくださいね。これが後で大事になるんです。誰かに言う訳じゃないので頭の中で、「アレとアレとコレは辛かったなぁ二度と経験したくないなぁ」ってことをいくつか思い浮かべてみてください。

 

ちなみに、ぼくの場合は、中学時代に部活でやっていた剣道ですね。あれは武道に通じるだけあって、精神的にものすごいキツいんですよね。剣道部の思い出を一言で言うとIKKです。

イタイ、クサイ、カユイ。

特にかゆみがなんとも辛かった。練習で激しい稽古をしているとツツーっと汗が顔に垂れてきて鼻先とかに鎮座するんです。そうするとくすぐったいというかかゆいというか、なんとも不快な気持ちになります。

でも、剣道では顔に面という防具を付けています。練習中だからかゆくても面を外すわけには行きません。そこで1番腹立たしいのが、面の上から指を入れて鼻先をかこうとしても、面の隙間が細くて指の第2関節くらいまでしか入らないということ。小指を駆使しても鼻まであと1センチが届かない。

そうなるとどうなるかって、鼻がかゆいのにそこにギリギリ届かない小指の先が目頭のあたりでチョコチョコチョコって虚しく上下するだけ。顔を振ろうが突き出してみようが届かないものは届かない。あのかゆさに耐えながら続ける稽古っていうのは中2のぼくにはほとんど拷問でした(笑)

今思えばぼくに忍耐力がなかっただけなんですが、当時のぼくには結構な苦痛でした(笑)

これがぼくの辛かったことの1つです。

 

皆さんはどんなことを思い浮かべたでしょうか。

さて、では次に少し話題を変えて、あなたがテレビゲームをするとします。

例えばスーパーマリオブラザーズ。

♪♪テテテテッテテッテってゲームが始まると、クリボーを倒したり、割れ目の道を飛び越えてみたり、土管の中に入ってみたりして、コインもたくさん集めてゴールに向かいます。

いろいろな敵を倒し、謎を解き、クッパやテレサみたいなボスを倒し、ピーチ姫を救っちゃったりして、ワクワクドキドキ本当に楽しいゲームですよね。

 

ぼくたちがなんであんなにもテレビゲームを楽しめるかというと、ゲームをしているぼくたちはプレーヤーという立場でマリオというキャラクターがいるから、あんなにも楽しめるんだということがわかります。

どういうことか。もしぼくたちがキャラクターの立場だったら、と考えてみてください。テレビ画面の中にワープしてみましょー。

 


♪♪テテテテッテテッテってゲームが始まると、いきなり目の前から自分の体の半分くらいの大きさのキノコが怒った顔して向かってくるんです。それだけでも恐怖で身動き取れなくなりそうなのに、ちょっと進むと今度は地面が割れてて底が見えないくらいの穴が空いています。目の前にそんな穴があったとして、何のためらいもなくジャンプできますか?さらに進むと現れる明らかに不自然な位置に設置されている緑色の土管に何のためらいもなく入っていけますか?


キャラクター目線とはこういうことです。

でもぼくたちが普段ゲームをするときは、プレーヤー目線でいるからそんな恐怖に襲われることはありません。他の格闘ゲームや育成ゲームやロールプレイングゲームでも同じです。自分がキャラクターになったとしたら、いつもコントロールしてるみたいな勇敢なコマンドは怖くて絶対出せないと思います。

 

マリオカートでだってそうです。自分が実際に乗ってるカートが赤甲羅に追いかけられたら、その瞬間顔面蒼白、1ミリも楽しくないと思います。笑

恋愛ゲームとかでもそうですかね(恋愛ゲームはやったことないんですが)、プレーヤー目線でいれば、キャラクターがヒドい振られ方をしても、「あーあ、振られちゃった。次♪♪次♪♪」ってあなたは尋常じゃない切り替えの早さをするんじゃないでしょうか。

 

このキャラクター目線とプレーヤー目線。ゲームにおいてはプレーヤー目線でいた方が絶対に楽しめることがわかると思います。

 

じゃあ話を戻してぼくたちが生きている現実の人生を考えてみます。ぼくたちってこの現実の世界で、プレーヤーとキャラクターのどちらの目線で生きているでしょうか??

きっとほぼすべての人が「いやいや、あきらかにキャラクターでしょ。ここ現実なんだし」って思うでしょう。

 

 

はい、そこで、最初に書いた「新しい人生の捉え方」です。

「べつにこの現実の世界だって、プレーヤー目線でいてもいいんじゃない??」と思うんです。この世界で生きるぼくら、誰がキャラクター目線でいなきゃいけないって決めたんですか?任天堂の人ですか?カプコンですか?バンダイですか?

べつにプレーヤー目線でもいいじゃないですか。まぁちょっとややこしいのが、キャラクターは自分てことになるので、イメージでいうと、

「自分というキャラクターがいて、その真後ろちょい上空から自分というプレーヤーが操ってる感じ」です。人生をゲームだと捉えてみるわけです。

 

そうすると例えば仕事でトラブルが現れてもプレーヤーのぼくは、

「営業先でとんでもないミスをした」

ーーーーーーーーー

▶︎上司に相談する

▶︎平謝り

▶︎とりあえず逆ギレしてみる

▶︎逃げる

ーーーーーーーーー

みたいな選択肢から「どれが面白そうかなー」って選ぶことができます。だってゲームですから。

 

大失恋しても、

彼女から「私もう耐えられない。別れましょ。」と昨日の夜突然電話で言われた。

ーーーーーーーーー

▶︎諦めきれないので連絡を取り続ける

▶︎友達に慰めてもらう

▶︎バックパック背負って東南アジアへ向かう

▶︎とりあえず西野カナを聴く

ーーーーーーーーー

みたいな選択肢の中から、「この展開がいいな」って選択肢を選べるわけです。ゲームですから。

 

ちゃんとプレーヤー目線で見れてれば、ですけど。笑

義大世界 イーダワールド

 

この世ってどの世?

ぼくも最初そうだったんですが、このキャラクター•プレーヤーの話を考えていると、ぼくたちが生きているこの世って現実なんだからプレーヤーなんかになりようがないんじゃないの。って思えてきます。ここが1番不思議なところであり、怪しいところです。

あの世とかから自分の守護霊みたいな存在がコントロールしてるのかなぁとか変なことまで考え始めてしまいます(笑)でももしかしたら、昔からの日本人の考え方は、それもあながち間違いじゃないのかもしれません。

 

そもそもですが、「この世」っていう考え方は「あの世」っていう場所が存在してると考えているから言う訳ですよね。「現実」っていうのも「非現実」っていう場所なり空間なりが存在してると考えているから、そことは違う場所という意味で「現実」って使う訳ですよね。だから「この世」とか「現実」が本当で、いわゆるリアルな世界が今ここであると。

 

でも、日本語にはおかしな使われ方をしている言葉があります。

「誕生日(たんじょうび)」って言葉。誰もが知ってるこの言葉。この言葉って不思議だと思いませんか?

生まれた日を表すなら「生日(じょうび)」だけでいいのに、なぜか「誕」が付いています。生誕とか降誕とか使われたりするからこの「誕」て、「生まれる」とかに近い意味があるかと思ったら、実は違うんですってこれ。

漢和辞典なんかで調べるとちゃんと書いてあるのですが、「誕」という字には、「偽り」とか「嘘•でたらめ」という意味があるんです。

ということは「誕生日」というのは、「偽りの生まれた日」となります。偽りってどうゆことよ?ですよね。

 

それに、人が亡くなった時、「大往生でした」って言いますよね。「往」って「往復」の「往」だから「行く」という意味です。

亡くなった人が「大きく往って生まれる」ってどういうことなんでしょう。どこに生まれるんでしょう??

 

亡くなった人に対して、「生前は◯◯な人でした。」って言うこともありますね。

「生前」って生まれる前ってことです。お葬式もして亡くなった人に対して、「生まれる前は◯◯な人でした」って日本語変じゃないですか?死んだのに生まれた??ちんぷんかんぷんです。

 

とまぁこーゆうことを考えていると、もしかしたら今ぼく達が生きているこの世界は、映画「マトリックス」みたいに、現実のようで現実ではないのかもしれません。

もし仮に本当にそうなのだとしたら、キャラクラー目線ではなくプレーヤー目線で人生を歩んでもいいんじゃないのかと思えてきます。

 

夜、寝ながら夢を見ている時って、夢が夢だとわからないことがありますよね。これもキャラクラー目線とプレーヤー目線だと思います。目が覚めた時にハッと気づく。それで「あっ、今のは夢だったのか」って。

 

今のこの毎日は、「偽りの生まれた日(誕生日)」から「本当に生まれる日(大往生)」までの「生前ライフ」を送っているだけなのかもしれません。だから、ぼくたちが死んだ時に「ハッ、今までのはゲームだったのか」って気がつくのかもしれません。。。

 

ハッ!!いつの間にかものすごく怪しい話になってしまいました。すみません。笑

ゴールドコースト フレーザー島

 

さいごに

だいぶ怪しくなってしまったので、この話の最後に2つだけ付け足して終わろうと思います。

1つは、もし本当にこの世界がゲームなのだとしたら、です。

 

あなたはプレーヤー。兼キャラクターでもあるわけですが。

もしこの世界がゲームなのだとしたら、何かテーマがあるはずです。テレビゲームにいろんなジャンルがあるように。格闘なのかスポーツなのか冒険なのか戦闘なのか恋愛なのか。それを決めなきゃいけないはずです。

ただどんなジャンルのゲームだとしても1つだけ絶対的に変わらないことがあって、それは「良い方向へ向かうために進んで行く」ということです。テレビゲームでも、ひたすら悪い方向へ向かうゲームなんてないと思います。あったとしても絶対面白くないはず。

 

この世界は大昔から「良い方向」を目指してきました。良い方向を目指そうとしなかったら、ぼくたちは700万年前から今日までずっと、手に槍を持ってマンモスを追いかけてたはずです。

良い方向を目指そうとしなかったら、今だにほとんどの社会人が朝から馬に乗って会社まで通勤していたはずです。ヒヒーンて。

 

でも現実はそうなっていません。それは「良い方向へ向かおう」っていう大きな流れが働いているからだと思います。だから、この世界がゲームだとして何をテーマにしようかって悩んだ時は、「世の中が良い方向へ向かう」ような選択を繰り返していけばいいんじゃないかと思います。

 

そして、2つ目ですが、

もし、あなたがゲームクリエイターだとしたら、どんなゲームを作るでしょうか?ゲームは楽しむものです。楽しもうと思ったら、ハラハラ•ドキドキするような出来事が必要になります。テレビゲームでいえば、解かなければ先に進めない謎だったり、今の自分より強い敵だったり、大ピンチだったり。

 

スーパマリオブラザーズで考えてみてください。

♪♪テテテテッテテッテってゲームが始まった瞬間、敵は一切出てこない、コインはヨッシーがすでに回収済み、道の割れ目もルイージがすでに補修済み、ピーチ姫はクッパから自力脱出してたとしたら。ステージ1-1を進むマリオのそれはもうただの散歩ですよね。安全ではあるけれど、ゲームとしての面白みは一切ないです。

ポケモンだって、ゲームスタート時点にすでにポケモンマスターだったら絶対面白くないし、ゲームじゃないですけどワンピースのルフィだって、フーシャ村を出発して1つ目の島で”ひとつなぎの大秘宝”見つけちゃったらそこでお話し終了です。

 

何が言いたいのかというとですね。この記事の最初で、頭に浮かべてもらったあなたが経験した(もしくは現在経験している)トラブル、不満、辛かったこと、傷ついたこと。失恋とか受験の失敗や仕事の失敗、人間関係のトラブルとか家族の悩みなどがあります。

自分たちがキャラクターではなくプレーヤーなのだとしたら、そういったトラブルだったり落ち込むことだったり、乗り越えるのが大変な壁というのは、人生を面白くするためのアトラクションだって考えることもできるんじゃないでしょうか、ということなんです。

人生をキャラクター目線で進むのか、プレーヤー目線で進むのか、どちらが良いかは人それぞれですが、その見方の違いは大きいと思います

 

いつも楽観的なぼくは、いかに毎日を楽しく過ごすかということばかり考えているので、今回のお話しも、そんなワクワクする考え方の1つです。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

「新•人生ゲーム」でした。

 

 

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