「承認されること」と「貢献すること」

コーロン島

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どうもです。

今回は承認欲求と貢献感のことについて書こうと思います。

 

承認欲求という言葉を聞いたことがあると思います。

承認欲求は「誰かに認めてもらいたい!」「人に褒めてもらいたい!」といった欲求です。

これは人間誰もが持っていると言われています。

 

貢献感という言葉もあります。

貢献とは「誰かのために何かをすること」です。

貢献感とは「誰かのために何かをしたと思うこと」です。

 

一般的には、「承認欲求が強い」と言われるとネガティブなイメージにつながります。

「貢献感」の方はあまり耳馴染みがないかもしれません。

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この承認欲求と貢献感、どちらにも共通点があります。

それは、どちらもその気持ちを得るために「人に何かをすること」です。

もっというと、「人の役に立とうとする」ことが共通点です。

 

誰かに認めてもらおうと思って「人の役に立とうとする」

誰かのために貢献しようと思って「人の役に立とうとする」

どちらも人のために何かをしようとすることなので、一見同じのように見えます。

が、実は全然違います。

 

どこが違うかというと、

片方は基準が外にあり、もう片方は基準が内にあるところです。

つまり、片方は他人の評価が基準になり、片方は自分の評価が基準になります。

 

承認欲求の場合、

誰かに何かをした→相手に「ありがとう」と言われた。→嬉しい。

誰かの役に立つことをした→相手に「またお願いするよ」と言われた。→心が満たされた

といったように、承認欲求を満たすか満たさないかを相手の基準、さじ加減で決めることになります。

 

逆に言えば、誰かに何かをしてもお礼を言われなかったらそれは自分の行為が認められなかったことになり、それでは承認欲求がみたされません。

 

例えば承認欲求を持った子どもが、お母さんのお手伝いをしたのに「ありがとう、またお願いね」と言ってもらえなかったら、承認欲求が満たされないことになります。

 

自分の承認欲求が満たされるかどうかの決定権は相手の側にあるということです。

コーロン島

奥さんが家事している。旦那さんは当たり前だと思っていて「ありがとう」とは言ってくれない。こんな状況で奥さんが承認欲求を持っていたら、「認めて欲しいのに認めてもらえない、褒めて欲しいのに褒めてもらえない」とイライラしてし、夫婦関係がギクシャクしてしまうかもしれません。

 

でも、同じ状況で奥さんが貢献感を持っていたらどうでしょうか。

家事をするのは、純粋に旦那さんや子どもの役に立ちたいから。別に褒めてもらいたいからやっているわけじゃない、と。

 

貢献感は承認欲求とは違い、評価の基準が自分にあります。

変な言い方をすると、「自分は誰かのために役に立っているんだ」と「一方的に」思っている。

この「一方的に」というのが重要で、そうすると、たとえ褒められたりお礼を言われたりしなくても、自分の心は満たされた状態になります。相手がどう思うかは二の次です。

 

会社でも家庭でも友だち関係でも何でもそうですが、相手のために何かをしてお礼を言われなかった時に「イラッ」としてしまうのは、お礼を言ってもらうことを期待しているからです。

「わたしはあなたのためにコレをしました。なのに褒めてくれないんですね。お礼も言ってくれないんですね。」と。

 

これは承認欲求です。

でも承認欲求は評価の基準が相手にあるから、どうしても満たされない場面が出てきます。

 

もしかしたら、相手は気がついてないだけかもしれません。心では「ありがとう」と思っていたけど口ベタで言葉にできなかっただけかもしれませんし、「誰がお礼なんて言うもんですか」っておへその曲がった人なのかもしれません。

 

でも、「お礼を言ってもらうことを期待しているわたし」は言ってもらえなかったことに腹を立てます。

なんかそれって自分勝手。笑

 

でもこれはしょうがない部分もあると思います。

なぜなら、ほとんどの人が子どもの頃から承認欲求を意識させられて大人になってきたはずだから。

像

承認欲求の欲求の根底には賞罰教育があります。

「運動会の徒競走で1等になったらゲームを買ってあげる」「テストで何点以上取ったらスマホを買ってあげる」「試験に受かったらお小遣いをあげてあげる」

 

よくありがちな子どものモチベーションアップ方法ですが、

これらは裏を返せば、子どもたちは「◯◯できなかったら▲▲はもらえない」という事実を学ぶことになります。

 

褒めてもらえるなら良い行動するという基準を学ぶ子どもは、同時に、

叱る人がいなければ不適切な行動もするという基準も学ぶ可能性が高いはずです。

 

これらはどれも、評価の基準が相手にあるから起きることです。

 

評価の基準が自分にあれば、褒めてくれる人がいなくても「良い行動をすると気分が良い」「自分が楽しいからそれで十分」といった基準で物事を進めます。

 

「褒められたりしなくても、自分が気分良いからそれでいいんだよ〜」って爽やかに過ごすことができます。

 

評価の基準が他人にある人と評価の基準が自分にある人では、ストレスの感じ方が全然違うと思います。

 

 

でも、ぼくも含めてですがほとんどの人は「承認欲求はあるでしょ、他人から褒めてもらったら嬉しいし、認めてもらいたいじゃん」と思うんじゃないでしょうか。

 

そこで、これはぼくなりの考え方なのですが、承認欲求も貢献感も両方持つことは何も問題ないと思います。

ぼくも両方とも持っている自信があります。それもきっと人よりも強めに。ぼくは人に褒められたらニヤニヤが止まりません(笑)人に褒められるとすぐデレデレします(笑)

それは承認欲求だと思います。

 

でもかといって、褒められなくても落ち込むことはほとんどないし、認めてもらえなくて怒ったりイライラすることもありません。(と自分では思っています笑)

 

というのも、ぼくが意識している承認欲求と貢献感の持ち方があります。

 

きっと、お礼を言ってもらえなかったり感謝してもらえなくてイライラしちゃう人は、貢献感と承認欲求を2つ合わせて100%にして持っているんだと思います。

貢献感が60%と承認欲求が40%で、合わせて100%みたいな感じ。

となると承認欲求が満たされないと承認欲求の40%が取り除かれるから残りは貢献感の60%です。本当は100%で満たされてる状態なのに。と満たされないことに、落ち込んだりイライラしちゃったり。

 

ぼくの場合は考え方は積み木を重ねるイメージです。

土台となる貢献感という大きめのブロックをまず置いて、その上にひと周り小さい承認欲求をドンと置いてあるイメージ。

つまり、1番下のベースに貢献感が100%で置いてあって、その上に80%くらいの承認欲求が乗っている状態です。

 

だから、人に褒められたり感謝されたらめちゃくちゃ嬉しいわけです。80%の承認欲求が乗ってますから。

でも仮に褒められなかったとして、80%の承認欲求が取られちゃったとしても、その下には100%の貢献感があるから落ち込んだりイライラしたりしないんです。

 

「お礼言ってもらえなかったけど、良いことして良い気分になったからそれでいいや」って思うんです。

 

褒めれたら嬉しいけど、褒められなくても平気。

 

感謝されたらより頑張るけど、感謝されなくても自分が良い気分になるために頑張る。

 

そうやって思っていると、自分で自分のことが好きになります。

自分のことを嫌いでいるよりも、自分のことを好きでいた方が絶対に楽しい。

周りにいる苦手な人や嫌いな人は、なんとかすれば会わないようにできるかもしれませんが、

自分と会わないようにすることはできません。

 

だったら自分のこと嫌いでいるよりも好きでいた方がいいはず。

ぼくも昔は自分のことが嫌いでした。今ならわかるけどそれはきっと評価の基準が他人だったから。

無理してたんですね。「褒めれよう」「人の期待に応える人でいよう」と必死だったんでしょうね。

 

今はね、大好きですよ(笑)

 

はい、というわけで承認欲求と貢献感の話でした。

今回も長々とした文章を読んでくださってありがとうございました。

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