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「出会い」と「別れ」と「別れ方」

ネパール アンナプルナサウス

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アジアの国々を旅して気がついたこと

 

出会いと別れは表裏一体で、

コインという一つのものに「表」と「裏」があるように

他者との関わりという出来事の中に「出会い」と「別れ」が必ずあります。

学校に入学して仲良くなった友だちと、卒業式で別れる。

会社に同期で入社して、どちらかの転職などで別れる。

恋人同士も、どこかで出会い、何かがあって別れます。

 

「出会い」と「別れ」の究極と言えば、両親や子どもがそうですね。

子どもは生まれた時に両親と「出会い」ます。そしてたいていは親が先にこの世を去る形で「別れ」がきます。

子どもが先にこの世を去る「別れ」があったり、親と「別れる」のにも早い時期、遅い時期、ひとそれぞれです。

一つだけ確実なのは、「出会い」と「別れ」はいつか必ずどこかで起こるということです。

 

 

出会いは嬉しいものですか?

別れは悲しいものですか?

 

過去を振り返るともしかしたら「あの出会いはあんまり嬉しくなかったな。むしろ辛かったな」とか「あの別れは悲しくなかったな。むしろ嬉しかったな。」なんて

一概に「出会い」が嬉しいもので、「別れ」が悲しいものではないのかもしれません。

 

 

ぼくがオーストラリアで暮らしていた時、3〜6ヶ月ごとに住む場所を変えていました。せっかく海外に住むのだからいろんな場所に行ってみたいという好奇心からです。

そういう生活をしていると、「出会い」と「別れ」が頻繁にあります。

新しい土地に行けば、その土地に住んでいる人がいるし、全然違う国の人でもたまたま同じ時期にその場所に来ていてそこで出会うこともあります。

仲間

 

アジアの国々を旅行している時もそうでした。

毎日のように新しい人と出会い、ウマが合って1日過ごすことになる場合もあれば、ほんの数十分ともに食事をするだけの場合もあります。

トゥクトゥクの運転手や現地の観光ガイドも、「出会い」と「別れ」の連続です。

カンボジア

余談ですけど、アジア旅行をしている時、ぼくはこういった「出会い」と「別れ」が『一期一会(いちごいちえ)』なんだと思っていました。

電車や飛行機でたまたま席が隣り合わせた、ツアーでたまたま同じグループになった、タクシーを捕まえたらたまたまその運転手だった、

そういう一度きりの出会い、「これから先一生会わないかもしれないのだから、その時一緒に居られる時間を大切にすること」が一期一会だと思っていたんです。

 

でも、違うんですね『一期一会』の本来の意味って。

 

『一期一会』の本来の意味は、

「いつも会っている人、身近な人と関わるときに【今日が最後の1回】であるかのように会いましょう」

なんだそうです。全然知りませんでした。

 

確かに今日会う人と明日も会える確率は100%じゃないし、今目の前にいる人と明日も絶対会えるかといえば、(ほぼ会えると思うけど)絶対ではないですもんね。

家族でも恋人でも会社の人でも毎日のように会っていると、これから先もなにごともなく会い続けられるのが当たり前だと思いがち。

 

だから、明日後悔しないために、今日会えることに感謝し、伝えたい思いを今伝えることが大切なんだよ、というのが『一期一会』の本来の意味なんだそうです。

もちろん、偶然知り合った一回きりかもしれない出会いを大切にしようという思いも大切だと思います。

台湾 タスマニア 

 

さて、話が逸れてしまいましたが

ぼくがアジアの旅行をしていて「別れ方」について感じたことがありまして、、、。

 

日本て、交通機関が発達してるから、飛行機•新幹線•電車•バス•タクシー•自家用車で移動することが多いですよね。

これらの交通機関てあっという間に別の場所に移動できるから、ぼくたちの暮らしを圧倒的に豊かにしています。

名古屋駅で新幹線に乗って1時間40分すれば東京に着いてるなんて圧倒的ですよね。江戸時代なんて歩いて移動ですから、その差を考えればものすごい進歩です。

そんな便利な交通機関に以前は何の疑問も感じなかったのですが、アジアの旅から日本に帰ってきて新幹線に乗った時、あることを感じました。

それは、「共有していた空間が一瞬で遮断される」ということ。

 

アジアの国々は、交通機関が日本ほど未発達な場所が多いので、移動には日本では見かけない乗り物を使うことが多いです。

多いのはトゥクトゥクと呼ばれる3輪の自動車、インドではオートリキシャと呼ばれるものがあったり、スクータータクシーなんかもあります。

電車に関しても、インドの電車は運賃の安い車両は窓ガラスがなかったり、格子がついているだけの場合もあります。

 

何が言いたいのかというと、「出発する時に扉がピシャッと閉まらない」ことが重要なところで、扉がないと別れに余韻が残る(気がする)んです。

 

日本の交通機関の多くは、便利で安全。だから、出発する前には扉がピシャッと、もしくはバンっと閉まります。以前はそれが当たり前だったのに、今ではその「ピシャッ」や「バンっ」がなんだか共有している空間を物理的に、しかも強制的に遮断された気分になることが多いです。

 

アジアでは、トゥクトゥクには窓も扉もないし、スクータータクシーもありません。

丸1日一緒に過ごして、その日の終わりに「今日はありがとう!!またいつか!」とお礼を言ってトゥクトゥクやスクータータクシーが走り去っていく姿を見ると、姿が見えなくなってもなんだか空間ではつながっている気分になります。

まあ言ってしまえば気分の問題でしかないし、結局は「もう一生会うことはないかもしれないな」という思いには至るんですけど、そこに至るまでの過程がゆっくりか一気かどうかが、違うなって思ったんです。

 

 

水も、熱しても一気には沸騰せずにちょっとずつ温度が上がりますしね。一気飲みとかもそうかもしれないですけど、「一気」って心や体に負担をかけるんですかね。

だから別れについても、扉で一気に遮断されるのと、扉がない乗り物の姿がゆっくり見えなくなっていくのでは気分が違うのかなぁと感じたんです。

 

 

これは完全にぼくの主観ですが(笑)

 

誰かと「出会った」ということは、どんな形であれ、必ず「別れ」が来ると決まっています。

それが今あらかじめわかっているということは、いつか来るその時にどんな「別れ」でありたいかを普段から意識することが可能なわけで、

「別れがイヤだ」「別れは怖い」と拒絶してしまうのではなく、分かっているからこそ真剣に考える必要が会って、

だからぼくは、ぼくが関わる色んな人と「最良の別れ」を迎えられるように行動していこうと思うようになりました。

 

「出会い」と「別れ」の大切さも、アジアの旅を通して学んだことの一つです。

 


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