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英語は道具。料理における包丁と一緒。ぼくはこう考えます。

アイキャッチ画像 ヒガンテ保育士

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はじめに


あなたの周りには、

「いつか英語がしゃべれるようになりたい!」

「英語ペラペラになれたらいいなぁ」

「英会話教室に通って英語勉強してます」

 

英語に興味がある人がどのくらいいるでしょうか?

 

「全然興味ないけど、そりゃ喋れたらいいなって思う。

なんかカッコイイし、頭よさそうに見えるじゃん」なんて人もいるんじゃないでしょうか。

 

「自分の子どもには英語を習わせて、英語をしゃべれるようになって欲しい」

そう願うお母さん、お父さんも多いんじゃないでしょうか。




 

 

 

今回は、オーストラリアの保育園で働きたいがために24歳から英語を勉強し始めたぼくが

小•中学校でも授業時間を取って勉強している「英語」という言語について

思うことを書いてみたいと思います。

 

 

 

英語は道具


英語を勉強する人は、なんのために英語を勉強するのか。

 

英語っていうのはただの道具だと思います。

 

英語もそうだし、フランス語もスペイン語も、

もちろん日本語も、

つまり言語って目に見えないから忘れがちだけど、

何かをしたいっていう目的があるから、

そのために使う道具のはずです。

 

 

料理だって包丁っていう道具を使うし、

野球だってバットやグローブっていう道具を使う。

 

それと一緒のはず。

 

 

じゃあ、言語って何のために使うのか。

 

ぼくたちは日本語を何のために使っているのか。

 

日本語を使うのって当たり前すぎて、

そんなこと考えたことない人が多いかもしれません。

 

 

例えば、

ぼくたちの日常から日本語がなくなったら、と考えてみてください。

身の回りにある日本語が全て真っ白になってしまったら。

 

テレビを見ても何を言っているかわからないし、

インターネットを見ても、本を読んでも何の情報も得られません。

 

友だちと話すこともできないし、気持ちを伝えることもできない。

相手が何を言っているのかもわかりません。

 

 

仕事だって、そう。

もしかしたら日本語がなくなってもできる仕事もあるかもしれないけど、

少なくとも今よりも大変さは増すし、

同僚や上司•先輩•後輩、お客さんとのコミュニケーションは大変になるんじゃないかな。

 

恋愛とか結婚生活にしても、

日本語がなかったら、どうやって相手とコミュニケーションを取りますか?

どうやってデートに誘って、どうやってそのデートを楽しみますか?

 

 

そんな風に考えてみると、日本語が使える有り難さとともに、

言語という道具の使い道がわかってきます。

 

 

つまり、言語っていうのは、

  • 人とコミュニケーションを取るため
  • 気持ちや情報など、何かを伝えるため
  • ネットやテレビ、本など、何かから情報を得るため

に使う。そのための道具です。

 

 

 

「英語教室」という不思議


さて、英語がコミュニケーションを取るための道具だということがわかりました。

 

てことは、

英語を勉強する目的っていうのは、

誰かとコミュニケーションをとるため、

もしくは情報を得たり、やり取りするため、

になるはず。

 

ただ、今の日本は、

TOIEC何点、英検何級とかがステータスみたいになっちゃってるから、

そこで良い成績を取ることが

英語を勉強することの目的になっちゃってる人も多いと思います。

特に学生とかは。

 

 

 

包丁でも、バットでもそうですけど

道具を使うにはある程度練習しなければなりません。

 

 

英語も、「勉強」っていうからややこしくなるけど、

道具なんだから、

「英語を練習する」って言えばいいと思います。

 

 

そうすると、ある疑問が浮かびます。

 

世の中に、

英語を勉強する(つまり練習する)

「英語教室」「英会話教室」って山ほどあるけど、

 

同じ道具である包丁には、

「包丁の使い方教室」なんてないし、

バットについても、

「バットの振り方教室」なんてない。

 

もしあってもそんな教室はつまらない気がする。笑

 

 

1時間ひたすらみじん切りをし続ける教室。

 

2時間、ひたすら素振りだけをする教室。

 

その中で楽しさを見出すのってきっと至難の技です。

 

包丁使ってたら料理したくなるし、

バット振ってたら野球したくなるし。

 

それが道具の使い方のはず。

 

「料理教室」があって「包丁の使い方教室」がない、

「野球教室」があって「バットの振り方教室」がないのは、

包丁やバットがそれぞれの道具であって、

それを使えること自体が目的じゃないから。

 

 

でも、

学校での英語の勉強って

英語を練習すること自体が目的になっちゃってるんじゃないかな。なんてことも思うわけです。

 

だから面白くないんじゃないかな。って。

 

英語のテストで良い点取ったり、

TOEICで高得点取るのって、結局、

「包丁の使い方検定1級」とか「バットの振り方90点」みたいなことと一緒なわけですもんね。

 

もちろん、世の中にある「英語教室」や「英会話教室」の全てが無意味なんて言いません。

本来の目的である英語を使えることを目標にして取り組んでいる教室が多いと思います。

 

だからこれは、教室に通う側(英語を勉強したいと思っている側)の気持ちの持ち方が大切なんだと思います。

 

 

ちなみに私ごとですが、

ぼくは、日本で保育士をしていた時に、

「海外の保育園で働いてみたい」「海外の人から保育事情をいろいろ聞いてみたい」と思って英語の勉強を始めました。

 

「海外の保育園で働いてみたい」という目的があって、

そのために「英語を使えるようになる」っていう課題が出てきました。

 

仮にそんなことを思わなかったら、今も英語は使えないままだったと思います。

日本で暮らしてても英語を必要とする機会なんて全くなかったし。

23歳になるまで、海外の人なんて、中学校と高校にいたアシスタントティーチャーみたいな人と、

テレビと映画館でしか見たことなかったです。笑

 

よく言えば、英語が使えなくても何の問題もなく暮らしていけるってことで、

そんな恵まれに暮らしていて、何で義務教育で英語を勉強するのかって疑問もあります。

このことは今回の内容とは趣旨がズレるのでまた別に書こうと思います。

 

 

 

発音はネイティヴスピーカーを目指すべきか


日本人は、

英語を勉強するとき、

発音や文法をものすっごく気にします。

 

ぼくも英語を勉強し始めたときはそうでした。

文法に自信がないから、間違えるのが恥ずかしくて積極的に喋れなくて、

発音も上手くないから、どうしても小声になっちゃって、

そのせいで「パードゥン?」って言われるから余計自信がつかなくて、、、。

 

みたいなことの繰り返し(笑)

 

 

でも、オーストラリアで暮らしているうち、

いろんな国の人と知り合って、

いろんな人と英語でコミュニケーションを取って、

「伝わることが大切なんだ」って思うようになりました。

 

多少、文法が違っても、発音が変でも、

英語の本来の役割である、

コミュニケーションが取れること、気持ちが伝えられること、情報が得られることができればいいじゃないかって思うようになったのです。

 

 

割り切った言い方をすれば、

ぼくたちは日本人で、英語圏で生まれ育った人じゃない。

日本語の上に乗った英語で全然いいわけです。

 

道具なんだから、目的が達成できればそれでいいんです。

とぼくは思ってます。

 

 

あのイチローだって、

「振り子打法」っていう一風変わった打法をやってますが、

メジャーリーグに行った当初は、

「あんな変な打ち方で野球ができるんか」ってめちゃくちゃ言われてたらしいです。

 

でも、今のイチローの評価を見れば、

「道具はその目的が達成できればいい」と心から思えます。

 

 

もちろん、

道具だから精度を高めることは重要だと思います。

高めれば高めるほど、使いやすくなるし、便利にもなります。

 

英語の場合だと、

単語の語彙が増えるとか、

会話のスピードが上がるとか、

発音がより綺麗になるとか、でしょうか。

 

 

伝われば発音はどうでもいいと言いながら、

発音が綺麗になることを挙げたりして、

矛盾しているように思えるかもしれませんが、

それは目的の問題で、

 

発音を完璧にすることが目的になってはいけないということです。

 

 

より円滑なコミュニケーションを目指したいからって

発音を向上させることを「目標」にするのはいいけど、

それが「目的」になってしまっては、

本来の用途から離れてしまうんじゃないかってことです。

 

 

 

 

さいごに


英語がしゃべれるようになりたい人、

もしくは、自分の子どもを英会話教室に通わせたいなと思っている人や、

「英語を習っているけど、面白みを感じない。楽しくはない」と感じてる人は

一度、「英語を練習することが目的になっていないか」を考えてみて欲しいです。

 

英語は道具で、

道具はある目的のために使うもの。

 

 

その「目的」が何なのかがはっきりすれば、

英語を勉強するすることが今より面白くなるかもしれません。

 

 

もしくは、考えてみた結果、

「別に自分には必要ない」と思えるかもしれません。

そしたら無理に英語をやらなくたって、

違うことに時間を使えばいいと思います。

 

時間は有限ですから、

自分にやりたいことがあって、そのために何か練習したり覚えることがあるなら

そっちに時間を使ったほうが絶対有意義だと思います。

 

 

とまぁぼくはこんな風に思うので、

目的も明確にならないまま、

「これからは英語が必要な時代だから」という漠然とした理由で英語を勉強したり、

小学校や中学校で全員が英語をやることには疑問を持っています。

 

 

長々となってしまいましたが(ホントに毎回まとまりない長い文章になっちゃうから、ぼくには文章力を向上させる練習が必要のようです笑)、

今回の記事で言いたかったことは、

 

 

「英語は道具」

 

 

ただこれだけなんです。

 

こんなに書いたのに、一言で済むやないか。

 

ではまた。

 




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