土俵が違うということ 〜今日1日をイライラしないために〜

夕焼け

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はじめに

クーイズクイズッ!!

 

ハッケヨイ!!ノコッタノコッタ!!

これなーんだ?

 

そうです、お相撲です。

 

今日朝起きた時、なぜか土俵が頭に浮かんだからそれを無理やり繋げてみようと思います。笑

 

イライラの原因

 

誰かに対してイライラしたり、不愉快な気持ちになるのってどんな時でしょうか?

 

部下が思うように働いてくれない!あーイライラ。

上司が自分の頑張りを認めてくれない!あーイライラ。

夫が家事を何も手伝ってくれない!あーイライラ。

妻がお小遣いをくれない!あーイライラ。

子どもが宿題をやらない!おもちゃを片付けない!イライライライラ。

お年寄りが運転する車がノロノロのろのろ。イライラいらいら。

 

こういう「イライラ」、誰にでもあるんじゃないでしょうか。それが「イライラ」になる人もいれば、「がっかり」になる人もいます。「思ったようにならない!!」「それは自分が悪いからだ。シュン」と攻撃が内側に向く人もいます。

どちらにしても、「愉快」か「不愉快」かでいえば「不愉快」だと思うので、なんとか解消したいところです。

 

そこで今朝のヒラメキ。土俵です。

 

 

みんな土俵が違う

日本人なら、相撲をする土俵ってテレビか何かで一度は見たことありますよね。盛り上がった土がカチカチに固められてしめ縄?が埋め込まれたあの土俵です。

これはイメージの話ですが、ぼくたちは全員、それこそ一人ひとり、生まれたての赤ちゃんからお年寄りの方まで、違う土俵の上に立っていると考えます。日本人が1億3千万人いるのだとしたら、1億3千万個の土俵がある。

みんなそれぞれ、自分の土俵の上で相撲をとっていると考えてみてください。同じ家に暮らしていたとしても、お母さんとお父さんと子どもがいたらそこには3つの違った土俵がある。同じ会社のオフィスで席が隣だったとしても、自分と隣の人の土俵は違う。

そんな風にイメージすることができれば、イライラしたり不愉快になることってすごく少なくなると思います。

 

そもそも立ってる土俵が違うんだから、勝負のしようがないってことです。子どもには子どもの土俵があるし、お年寄りにはお年寄りの土俵がある。夫にも妻にも父にも母にも部下にも上司にもそれぞれの土俵がある。

そう考えると、イライラしたり、人とトラブルになるときってたぶんですけど、

「自分が他の人の土俵に勝手に入っている時」か「他の人を自分の土俵に勝手に連れ込んでいる時」のどちらかが多いんじゃないかと思うんです。

 

本来は別の土俵にいるはずなのに、勝手に相手の土俵に上がったり、無理やり自分の土俵に乗せようとしたり。

子どもに「なんであなたはそんなこともできないの!!」って思ってしまう時、「子どもだから」と思えればイライラすることにはならないんじゃないでしょうか。

「わたしがあなたと同じくらいの時は、こんなことできてたわよ!」「周りの子はみんなできてるのに、なんであなたはできないの!」って思う時は、過去の自分や周りの子どもと同じ土俵に乗せようとしている時です。みんな違う土俵があるのに、それから降りなさいというのは言う方も言われる方もきっと負担が大きいはず。

 

土俵って土の俵(たわら)と書きますが、土といえば畑。今回の話「みんなそれぞれ違う畑を耕している」とイメージしても同じことかもしれません。

それぞれ、ニンジンを作ってる人もいればジャガイモを作っている人もいます。小麦や米を作っている人もいます。そんな中で、「ぼくはニンジンを作っているんだから、キミもニンジンを作るべきだよ」って言われてもそれはきっと大きなお世話です。「私はジャガイモを作ってるんだから、あなたもニンジンなんかやめて、ジャガイモ作り手伝いなさいよ」なんて言われた日には第1次野菜戦争勃発ですよね。

 

自分と他の人は違う土俵に立っている。それぞれの土俵に良いも悪いもない。ただ違っている土俵がある、というだけ。

こう思うようになると、イライラがグンと減る気がします。

 

 

間違っているかもしれない

 

この土俵の話にもう一つ加えるなら、さっきは「それぞれの土俵に良いも悪いもない」と言いましたが、

常に「自分の土俵は間違っているかもしれない」と思うことは大切なのかなって思います。

 

自分の土俵が絶対に正しいと思っていると、それ以外の土俵が正しくないことになります。いろんなことでそうだと思うのですが、「自分が正しい」と思っているとトラブルになりやすい。

人が2人いて、お互いが「自分が正しい」と思っていたら、正面衝突ドッカーンです。でも、お互いが「自分は間違っているかもしれない」と思っていたら、ぶつかりようがない。

実際にそれが正しいか間違っているかは分かりません。もしかしたら状況によっては立場が逆転することかもしれませんし。

 

言ってしまえば恋人同士のケンカから国同士の戦争まで、お互いが「自分は正しい」という正義感を掲げているから、トラブルになるわけで。正義を掲げてもいいけど「でもどこかは間違っているかもしれない」というスキマみたいな、余白みたいなものも一緒に掲げておくと、気がラクになるんじゃないかと思います。

 

今回、ぼくは「誰もが違う土俵に立っていると意識するとラクになる」と言っていますが、ぼくは「これは正しいんじゃないか」と思っているけれど同時に「でも間違っているかもしれない」とも思っているのです。

だから、「あなたのその土俵の話、私は違うと思います!」という話が来たとしても「あ、違う土俵に乗ってますからね。そうですよね。ぼくが間違っているのかもしれません。」と思うことになるでしょう。それが気楽だからです。

 

 

さいごに

誰かに対してイライラしてしまうのは、その人との距離が近すぎて、いつの間にか同じ土俵に乗っていると勘違いしちゃってるのかもしれません。家族とか職場の同僚とか恋人とか、物理的に距離が近いといつの間にか「自分たちは同じ土俵」感が出ちゃうのかもしれません。

土俵が違うというのは、嫌いだと言っているわけじゃないし、否定しているわけじゃないです。ただ、別の土俵にいる、というだけです。

 

特定の人にイライラしてしまう場合、最近イライラしていることが多いと思っている時は、

誰かの土俵にはるばる遠征している時か、自分の土俵に他人を乗っけて戦おうとしてる時かもしれません。

 

今朝の思いつき、土俵の話でした。

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