先が見えない。どうなるかわからない。

朝日

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はじめに

公務員を辞めてオーストラリアで生活していた時、しきりに考えていたことがあります。

それを考えざるをえなかったのか、ヒマだから自然と考えてしまっていたのか。それはよくわかりません。

 

何かというと、当時は24歳、

「俺の人生、この先どうなっていくんだろう」「将来のことが分からなさ過ぎる」とひたすら考えていたんです。

 

貯金も底をつきかけなのに、仕事がなかった時期がありました。場所はオーストラリア。家族も友だちもいません。

帰りの飛行機代すら無い状態。あっちゃー、人生ミスったかこれ?って何回も思いそうになりました。

でも、そんな時、逃げちゃいけないと思って、ちゃんと現実に向き合うことにしました。(お金も仕事なかったので、他にやることなかっただけなんですけどね笑)

 

暗闇の中で

いろいろ考えていく中で、自分なりにすご〜くわかりやすい表現を思いつきました。

それは暗闇です。

自分が真っ暗闇にいるという状態を想像するんです。光もない、音もない、匂いもない、ただの暗闇。

実際、あの時のぼくの心境はまさにそんな感じでした。

 

夜、自分の家でも部屋でも、深夜に目が覚めてしまった時、知っている場所のはずなのに「真っ暗」というだけでなんだか不安になることがあります。そんな時、ちょっと勇気を出して、照明のスイッチのところまで行って、ポチっと押すと、あっという間に部屋が明るくなって、「ふぅ」とひと安心することがあります。

 

ぼくがオーストラリアで探していたのも、その明かりだったんです。

 

「未来が分からない」「先が見えない」、これは暗闇と同じです。

でも、よく考えてみれば世界中探しても、未来がはっきり分かっている人、先がしっかり見えている人なんて一人もいないはず。

ということは、みんな未来が分からないし、先が見えないというどこか満たされない思いを抱えているということです。

 

当時のぼくもそうだったんです。その暗闇が一段と濃い時期だった。それがはっきりわかったんです。

心の中に「未来が分からない」という穴がポッカリと空いていました。

 

 

ただもう少し考えてみたら、この穴って、高校生だった時も、大学生だった時も空いていたということに気がつきました。

高校生の時は、「進路どうなるんだろう」「大学に合格できるかな」という満たされない思い。

大学生の時は、「就職先、どうしよう」「ちゃんと就職できるだろうか」という満たされない思い。

 

そのどちらの穴も、大学合格が決まった時、就職先が決まった時にはすっかり埋まったのを覚えています。

でも、少しするとまた何か未来のことで頭を悩ませることになったことも覚えています。

 

これってつまり、さっきの暗闇の話で言えば、手にマッチを持っているのと同じ状態です。

暗闇で手元が見えないながらにマッチを1本つけると、自分の周りが少しだけ見えるようになるから安心した気になります。でも、マッチの寿命は短い。あっという間に消えてしまいます。そしたらまた暗闇に逆戻り。怖い怖いと思ってまた一生懸命マッチを擦るんだけど、同じことの繰り返し。

高校生の頃からずっとこうやって生きてきたんだなぁということにオーストラリアの海辺で気がつきました。

オーストラリア タスマニア

 

2つの灯り

幸い、考え続けたら、同時に解決策も浮かんできました。

思いついた解決策は2つ。

1つは、ランプを持つことです。LEDほど明るくなくてもいいけど、自分の周りがぼんやり見えるくらいの明るさがあるランプがあれば、段差につまずくことはないし、穴があったら避けられる。何かしようと思ったら手元はちゃんと見える。そんな明るさでずっと光り続けるランプを持つことです。

もう1つは、小さくてもいいから遠くに光る目印があることです。360度見回しても先が全て真っ暗だったらどっちに進めばいいかわかりません。砂漠で迷子になるのはどこまで歩いても砂しかないからです。でも砂漠を歩いていて遠くの方に針の穴くらい小さくてもオアシスが見えれば、その方に向かって歩けばいいと分かります。

それと同じで、未来が分からない、先が見えないぼくらにも、遠くで光る一点の光があれば、どのくらい距離があるかは分からないけど真っ暗闇を進み続けるよりは何倍もマシだと思います。

 

自分の周りをぼんやり照らすランプと「あっちに進めばいいんだ」という遠くに光る星のような目印の2つを持つこと。これが「先が見えない」という穴を埋めてくれるんだろうと思ったんです。

穴を塞ぐもの

この話の続きを考えていて、

「将来が分からない」というポッカリ空いた穴に何を入れるかでその後の人生、人となりが大きく変わってしまうんじゃないかと考えるようになりました。

それは、ポッカリと穴が空いた時、「不安」という気持ちをその穴に入れて塞ぐこともできるし、「希望」という気持ちを入れて塞ぐこともできるということです。

それぞれの気持ちを入れたその後を考えてみると、「不安」で穴を塞いだ人はそれを維持するために「安定」を求めるようになり、「希望」で塞いだ人は自分を信じて「挑戦」を選ぶようになる気がします。

そしてさらにその先を考えてみると、「安定」を求めた場合、もし得られなかった時には人のせいにできてしまいます。あいつが悪い、会社が悪い、社会が悪い、時代が悪いって。他を頼って、言い方を変えれば依存して、安定しようとするから起きることだと思います。

かたや「挑戦」を選んだ場合、失敗しても人のせいにはできません。どこまで行っても責任は自分の内側にあります。

何かの本に書いてありました、

「自分のすることやしたことの責任を自分でとれる人、つまり選択と責任が自分に由(よ)る人『自由な人』なんだ」って。自分勝手と自由は違うってことですね。

オーストラリア シドニー

 

さいごに

さて、今回はオーストラリア時代のことをふと思い出しつらつら書いてみました。

こう考えるのが正解なのか不正解なのか、それすら未だに考え中のぼくですが、「こういう考え方もあるんだよ」という考え方の1つの例として、関わる子どもたちには伝えていきたいと思っています。

 

ぼくたちは、生まれてから大人になってもずっと、大海原で必死に泳いでるようなものです。見渡しても見えるのは大空と水だけ。たまに流れてくる丸太や発泡スチロールにつかまって休憩を繰り返しながら必死に泳いでいます。

ただ不思議なのは、生まれて大人になるまで、クロールや平泳ぎの泳ぎ方を一生懸命教えてくれるコーチはいっぱいいるのに、「どこに向かって泳げばいいのか」を教えてくれるコーチがすごく少ないように思います。

 

いくら上手に泳げても、大海原でがむしゃらな方向に泳いでもいつか力尽きてしまいます。何年もかけてがむしゃらな方向に泳いだあげく、本当に目指したかった島とは違う場所に着いてしまうこともあるかもしれません。

暗闇の中で目指す光がなければ、どっちに向かえばいいのかわからない不安に押しつぶされてしまうかもしれません。

 

自分がそういう気持ちを経験したので、今は、子どもたちには自分が「目指す光」をなるべく早い段階で見つけて欲しいと思っています。

そして、ぼくはその手助けをする人になろうと思っています。

 

ぼくがオーストラリアでの生活を通して見つけた「目指す光」は、「子どもと親に喜ばれる存在になること」でした。子育て中の親御さんと子どもたちの笑顔が溢れている社会、それがぼくの目指す光です。

 

先が見えない暗闇の中、みなさんはどんな光を目指しているのでしょうか??

 

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